-訪露プログラム-
-Programs of Visiting Russia-

洲本・クロンシュタット姉妹都市交流

日露戦争で残った記念艦オーロラ号の上で

平成23年度の夏に、姉妹都市提携10周年を記念して日露青年交流事業の枠でクロンシュタットからの青年代表団を受け入れた洲本市が、今回は青年代表団を結成してクロンシュタットを訪問しました。代表団は、小学校で教諭を務め、高田屋嘉兵衛翁の功績に詳しい佐野和弘さんを青年代表に、高田屋太鼓メンバー5名、華道の専門家、音楽家、陶芸作家、姉妹都市交流経験者の11名のみなさんで構成されました。また、青年代表団とは別枠で洲本市の竹内市長と洲本市役所の職員の方々も同行され、まさに洲本を代表して、クロンシュタットの住民との交流を行いました。

約200年前に高田屋嘉兵衛、ゴロヴニン、リコルドの間で築かれた友情が受け継がれる洲本市とクロンシュタットでは、今回の交流を機に、青年達の間でお互いの歴史・風土・文化への理解が進みました。団員の中には、約10年前の姉妹都市提携のため来日したクロンシュタット代表団に、子供メンバーとして太鼓を披露したという参加者も含まれていて、洲本市とクロンシュタットの縁がその土地に生きる人々の生活の中に浸透していることを感じさせます。また、2011年夏にクロンシュタットからの代表団を受け入れた際には、ロシアの参加者に阿波踊りを紹介しました。今回は、クロンシュタットの人々が、阿波踊りで洲本の訪問団を歓迎してくれました。また、華道の専門家の松井さんは2011年夏の訪問団に生花を紹介し、今回その参加者ジーマさんとクロンシュタットで再会を果たしました。ジーマさんはロシアに帰国後もビデオを見ながらお花の練習をしており、今回の再会で「松井先生、ロシアには、あなたの弟子がいることを覚えていて欲しい」とその思いを熱く語ってくれました。今後こうした若い世代の人々を中心に、さらなる友好関係が期待されます。

主な日程

8月22日
早朝洲本市発、伊丹空港、成田空港、モスクワ経由でサンクトペテルブルクへ(移動時間は24時間以上)

8月23日

午前中、太鼓の開梱・準備。その後、クロンシュタット歴史博物館、同地区行政府訪問、日露友好記念コンサートにて洲本市の紹介や雅楽・ピアノ・太鼓の演奏を披露、クロンシュタットの青年達との交流、ゴロウニンの子孫の方との面会

8月24日

サンクトペテルブルク市内視察、サンクトペテルブルク市役所訪問、在サンクトペテルブルク日本国総領事館でのレセプション(生花の作品を披露)、ホテル到着後、深夜まで陶芸の説明についての展示準備。

8月25日

クロンシュタット地区学校、アニクシナ子供芸術学校訪問(雅楽演奏、陶芸紹介など)、リコルド氏の子孫であるチホツキー氏と面会、同地区総合福祉施設見学など

8月26日

サンクトペテルブルク市内、ペトロドヴァレッツ視察

8月27日

プーシキン視察、シュヴァロフスカ村での民俗学習プログラム、企業のパーティの場で雅楽と太鼓と歌の披露、クロンシュタットの方々とのお別れ夕食会後、太鼓など荷物の準備

8月28日

サンクトペテルブルク発、モスクワ経由成田空港着。羽田空港、伊丹空港経由で洲本市へ



青年代表の佐野和弘さんと、高田屋太鼓メンバーの西口瑠美子さんの報告をご覧ください。

佐野和弘さん、写真はマカロフ提督の銅像の前に立つ佐野さん

先ずは佐野さんの報告から。

今回、高田屋嘉兵衛顕彰会の方から訪問団への参加を紹介していただいたときは、私はロシアに対する知識もイメージも、一般的なものしか持ち合わせておりませんでした。一応地元出身ですので、高田屋嘉兵衛に関する最低限の知識はありましたが、そこから見える姿でしかロシアという国を認識していなかったように思います。それは冷たく過酷な自然と、そこに暮らす寡黙な人々のイメージでした。歴史認識ひとつ挙げても、旧共産圏の時代からどれだけ社会が変わったのか、まるで想像が出来ずにいたのです。
 そんな認識が少し変わり始めたのは、市役所での2度目の打ち合わせの際に、ロシア語による日常会話の学習会が開かれた際でした。ロシア語という言語は、基本的な挨拶文一つ挙げても、初めて出会ったとき、2度目に出会ったときなど、様々なシチュエーションで言い回しが細かく分かれています。そこには、ロシアの人々の人と人との距離感に対する独特の感性を感じました。また、会話学習の、折に触れ現地の文化や風習の閑話休題に触れたときには、温和で親しみやすいロシアの土地柄にふれたような気がしました。いずれにしても、これらの学びは、ロシアでの様々な体験をする際に大きなプラスになったことは間違いありませんでした。
 様々な国際的・外交的課題が報道され、クローズアップされていた昨今ですが、そんな中で出発前から私が密かに注目していたのは、この訪問事業が、文化・風俗的交流に特化しているという点でした。まずは彼の国の人々が文化的背景で生活しているのかを知り、そして我々がどのような文化の下で生活しているのかを伝えることが、友好を築くための最短の手段であるように思われたからです。今回、この旅を通じて、その「文化的」交流の柱に感じたものは二つありました。「音楽」と「歴史」です。
 日程の2日目に行なわれた交流コンサートでは、ロシアの舞踊や音楽に我々が心奪われましたが、それ以上にロシアの人々が日本の音楽に聞き入って下さったのが印象的でした。特に高田屋太鼓の迫力ある演奏の後、立ち上がって手を叩いてくださったギャラリーの人々の姿に、言葉の壁を越える音楽の素晴らしさを感じました。
 もう一方で、それぞれの歴史に関心を持つことが、双方を繋ぐツールとなり得る事も実感できる事がありました。ロシアと日本の間には、高田屋嘉兵衛のエピソード以外にも、様々な歴史的逸話があります。ある時、クロンシュタット区内にも銅像がある日露戦争時の海軍提督ステパン・マカロフに興味があるとロシア側の交流団の方に話した時などは、大変喜ばれ、それをきっかけにして大いに話題が盛り上がりました。相手の国の歴史に関心を持つという事が、これ程までにその胸襟を開かせるのかと大いに参考になりました。
日本の義務教育の教育課程においても、国際理解は重要な要素として総合的な学習などで取り扱われています。この旅の交流で「音楽」と「歴史」の有用性を実感したことは、私の今後の職務上にも大きなプラスになったように思います。今回の交流事業で得たものをそれぞれの職務を通じて社会に還元してゆくことが、我々交流事業に参加した団員一同の今後の課題であるように思われます。
最後になりましたが、日露青年交流センター、洲本市役所の皆様、クロンシュタット区の行政担当の方々、その他この事業のお世話をして頂いた全ての皆様にお礼申し上げます。


一番手前が西口さん

「『御縁』に感謝の旅」

「西口さん!えぇとこで会った。あのなぁ、ロシア行かへん?」
久しぶりにお会いした出口さんからお声をかけて頂いたら、ロシア行きのお話を頂いた。はじめは、何の冗談かと思っていた。ところが、大真面目な話だった。本当にたまたま出口さんに再会したあの日から、私のロシア行きが始まった。
思い返せば、私が高田屋太鼓に出会ったのは小学生の頃。和太鼓が好きであった私を母が地元に和太鼓集団がある、と連れて行ってくれたのが始まりである。小学生の頃から続けていた高田屋太鼓も、娘を産んでから足が遠のいていた。ブランクがある私をお誘い頂いた事に、驚きと不安があったのを今でも鮮明に覚えている。私が所属する高田屋太鼓は、高田屋嘉兵衛翁の生涯をモチーフにした組曲を演奏している和太鼓集団である。モチーフとなっている高田屋嘉兵衛翁がロシアへ行った時の『御縁』が、今回の私たちのロシア訪問へもつながっている。ずっとずっと昔の『御縁』が現代にもつながった今回の旅。楽しみでありながら、訪問日が近づくにつれ、期待が膨らむ一方不安もあり、プレッシャーも感じていた。
いざ旅立ち、ロシアへ入国してからは不安と期待とを胸に抱えながら、一日一日が本当に速く過ぎていった。過ぎてしまえば本当にあっという間の訪問であったが、本当にとても充実した日々を送る事ができた。自分達の和太鼓演奏を喜んで頂けたのは、もちろん私自身もとても嬉しく、言葉の通じないロシアという国で音楽を通じて心を通わせられた事に感動を覚えた。滞在の時期はちょうど住民の方が少なくなる事もあり、交流できた方は限られてしまったのだが、ロシアの民俗学習プログラムなどは言葉が通じなくても一緒に楽しめるような内容であったので、もし次に洲本市からクロンシュタット区への訪問団が結成されるのであれば(いや、きっと結成されるであろう)、ぜひ考慮頂けたらと思う。
今回の旅で、私自身のロシアに対するイメージが大きく変わっていった。現在は、国と国とが顔を突き合わせるとなかなか難しい問題もあるが、一人一人が関わるとやはり同じ人間であり、同じように感動し、やさしさを持ち、ロシアにもあたたかい人が多い事を知る事ができた。また、もっと知りたいと思えた旅でもあった。一緒に訪問した仲間との出会い、この旅を支えてくれた方々との出会い、そしてロシアでの出会い・・・たくさんの良き『御縁』に恵まれた今回の旅。この『御縁』に感謝しながら、今後とも出会いを大切に生きていきたいと思う。


学校で絵皿づくり体験

コンサート終了後の記念撮影

クロンシュタット区の歴史史料館内にある姉妹都市コーナーに飾られる
高田屋嘉兵衛とリコルドの友情の記録、洲本市の記念品

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