坊っちゃん劇場「誓いのコイン」ロシア公演
2011年度坊っちゃん劇場*第6作目作品ミュージカル「誓いのコイン」のロシア公演が、2012年秋に実現しました。
きっかけとなったのは、ちょうど上演期間中に日露青年交流事業で愛媛県を訪問した「対日友好団体代表者」グループが観劇したことでした。日露戦争時の松山ロシア兵捕虜収容所を舞台にした国境を越えた人間愛をテーマにした作品に、ロシア人参加者全員が感銘を受けました。この時、代表団の団長を務めていたオレンブルク国立大学日本情報センター長リュドミーラ・ドカシェンコさんの「是非ロシアの人たちにもこの感動を伝えたい!」という熱い思いが、オレンブルク州政府に届き、州政府の招待を受けて、公演に向けた準備が進みました。公演実施が決まってから、4ヶ月という異例の早さで実施にこぎつけました。作品自体の素晴らしさはもとより、公演に関わった全ての人たちの熱意がロシアの観客の皆さんに伝わり、ロシア全4回の公演で、スタンディングオベーションを受け、高く評価されました。
日露戦争開戦後まもない1904年3月、日本初の俘虜収容所があった松山に、ロシア兵捕虜が収容される。陸軍病院では、日本赤十字社の看護婦が傷病兵たちの看護にあたっていた。篤志看護婦として働くことになったサチは、ロシア文学を愛しながら戦地に赴いた兄の影響で、ロシア語を話すことができた。サチをはじめとする看護婦たちの献身的な努力の甲斐もあり、目の手術を拒む貴族将校ニコライを始め、かたくなだったロシア兵捕虜たちの心も次第に和らいでいく。サチとニコライは、お互いを大切に思うようになっていった。そんな中、1905年に戦争が終結。捕虜たちもロシアに帰ることになる。サチとニコライは共にロシアに行くことを望むが、不治の病で帰国を断念したレオーノフ大佐は、革命の嵐が吹き荒れるロシアを救うための任務をニコライに託す。ニコライは、必ずサチを迎えに来ると誓い、二人の名前を刻んだ10ルーブル金貨をサチに残して、松山を後にした…
夜中のうちに、舞台装置をオレンブルクに送りました。モスクワ―オレンブルク間の距離は、約1500㎞。トラックで走り続けても丸2日はかかります。
ロシアに来て4日目、初めて市内見学に行きました。
明日はいよいよオレンブルクに移動します。
モスクワから空路2時間で、オレンブルクに到着しました。距離にして約1500km南です。
オレンブルクは、1735年に要塞都市として建設された歴史ある町です。ウラル山脈南端に位置し、カザフスタンと国境を接しています。人口は約55万人で、ガス産業を主要産業とする重工業の町です。国境の町なので、たくさんの民族が共存する整然とした美しい街です。
日本から遠く離れていますが、国立大学内には日本情報センターがあり、日本語を学ぶ学生や、日本文化に高い関心を持つ人がたくさん集まってきます。日露青年交流センターでは、2009年から日本語教師を派遣しています。今回≪誓いのコイン≫ロシア公演の実現を働きかけてくれたドカシェンコさんは、日本情報センター長として、日頃から日本に関する情報を発信し続けています。
市内の至る所に紫色のポスターやバナーが貼られ、落ち着いた街の雰囲気にとても美しく映えて、歓迎ムードが伝わってきました。
オレンブルクでは二日間に3公演を行い、全公演完売、全公演スタンディングオベーションをいただきました。来場者の皆さんの表情からも、本当に公演を心待ちにしてくださっていたことが伝わってきました。
滞在中はオレンブルク国立大学で日本語を学ぶ学生のみなさんが、手伝ってくださいました。
(写真はクリックすると拡大できます。)ロシアでの全公演が、客席からの温かい応援に支えられて無事終了しました。皆さん、ありがとうございました!
(写真はクリックすると拡大できます。)坊っちゃん劇場では、公演終了後にお客様への感謝の気持ちを込めて「お見送り」をしています。もちろんロシア公演でもその伝統は守ります。言葉は通じなくても、気持ちが通い合えたひとときでした。
(写真はクリックすると拡大できます。)青年交流事業から始まった今回のロシア公演は、たくさんの人たちの情熱と忍耐と協力のおかげで実現しました。
ロシアの皆さんに温かく迎えられただけでなく、私たちもたくさんの感動と力をもらい、たくさんの素敵な出会いがありました。
劇中歌「心の国境を越えたい」の歌詞のように、お互いが理解しようとする気持ちの大切さを、改めて感じさせられました。
今回の公演実現のためにご協力いただいた日本とロシアの全ての皆様に、この場を借りて、改めて感謝いたします。
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