昨年ワールドカップのために新設されたスタジアム
昨年、サッカーワールドカップの開催地の一つとなったニージュニー・ノヴゴロド市。ニージュニー・ノヴゴロド州の州都であり、1221年に創建された歴史ある街であり、人口規模でロシア第五位を占める都市です。
さて、ニージュニー・ノヴゴロドという名前はロシア人にとってどんな意味を持っているのでしょうか。作家ゴーリキーの出身地(ソ連時代、この街はゴーリキーと称されていました)? ゴーリキー自動車 (GAZ) の本拠地? その答えは市の中心にある「ミーニンとポジャルスキーの広場」にあります。
1. ミーニンとポジャルスキーの広場
左手にニジェゴロドクレムリン、右手にミーニンとポジャルスキーの広場
今から400年ほど前、ロシアは「スムータ」と呼ばれる大動乱に陥っていました。皇帝の空位に端を発する権力争いの中で、偽ドミトリー (Лжедмитрий) と呼ばれる僭称者が各地に乱立し、その混乱が隣国ポーランドの侵略を招いたのです。
このような状況で起ち上がったのが、ニージュニー・ノヴゴロドの肉商人、クジマ・ミーニンでした。彼は貴族のドミトリー・ポジャルスキーの協力のもと、義勇軍を組織し、モスクワからポーランド軍を追放することに成功しました。その故事から、ニージュニー・ノヴゴロド市民は「この街がロシアを救った」と誇りにしており、市の中心にあるクレムリンの前には今でもミーニンとポジャルスキーの像が立っています。
モスクワの有名な赤の広場にも、同様にミーニンとポジャルスキーの像は立っていて、彼らの功績がローカルな出来事ではなく、全ロシア史的な偉業であることを伝えています。
2. ボリシャヤ・ポクロフスカヤ通り
日本人駐在員たちから「ニージュニー銀座」とも呼ばれている
ミーニンとポジャルスキー通りからは、街で一番の目抜き通りであるボリシャヤ・ポクロフスカヤ通りが伸びています。
この通りでは多くの人が行き交い、特に休日や金曜の夜は大勢の人で賑わいます。土産物屋やパフォーマーが多くみられ、土曜日の午前には骨董市も開かれるので、ニージュニーっ子 (Нижегородец) が街を紹介してくれる機会があれば、きっとまずここに案内されることでしょう。
3. ニジェゴロドクレムリン
ニージュニー・ノヴゴロドの名所はどこかと言えば、一番は何と言ってもクレムリンでしょう。現在の城壁は16世紀に建造されました。
ニージュニーのクレムリンは13の塔から成る赤色の要塞です。中にはニージュニー・ノヴゴロド市の行政府、裁判所、大聖堂、美術館、コンサートホールなどがあります。
4. ヴォルガ河とロープウェー
ニージュニー・ノヴゴロド市は美しい大河、ヴォルガ河とオカ河の合流地点に位置しています。夏には客船でのクルーズも楽しめますよ。
ヴォルガ河をまたぎ、ニージュニー・ノヴゴロド市と対岸のボル市は、ロープウェイで結ばれています。
観光地やアトラクションとしてだけではなく、通勤・通学の手段として、市民からは日常的に親しまれています。
5. ショーロコフスキー・フートル
街の中心からはやや離れたところにある公園、ショーロコフスキー・フートル。ここは美しい池や自然、博物館との複合施設となっています。乗馬体験なども楽しむことができますよ。何より、秋のショーロコフスキー・フートルは別格の美しさです。
6. 動物園「リンポポ」
地方都市の動物園になんか大した動物は揃っていないだろう、そんな風に思ってはいやしませんか? 動物園「リンポポ」は予想を覆してくれるでしょう。
ここにはトラやライオンのような大型肉食獣もいれば、動物たちに餌をあげるコーナーも揃っています。一番の見どころは白熊のアヤーナ。とても人懐こく、訪問客が大好きです。
7. チカロフの階段
なぜニージュニー・ノヴゴロド市は「黄昏の都 (Столица закатов) 」なのでしょうか? その答えは夕方にクレムリンやミーニン広場の近くにある、チカロフの階段を訪れれば、分かることでしょう。
北極の横断飛行に成功した飛行士ヴァレリー・チカロフを讃える記念碑の下には、ヴォルガの河岸へと続く560段もの階段があります。ここから眺めるヴォルガ川にかかる夕日の景色は絶景で、黄昏時には多くの市民が集まります。
ニージュニー・ノヴゴロドを訪れる機会があれば、是非夕暮れ時を狙ってここを訪れてみて下さい。でも、足腰に自信がないなら、階段を降り切ってしまわないこと。上に戻れなくなってしまいますよ!