-滞在記- 若手研究者等フェローシップ( 2013 年度)

ドゥナーエワ女史主催「バレエの歴史:文献学的調査」      斎藤慶子

2014年5月21日「第23回学術的朗読会 バレエの歴史:文献学的調査 XXIII Научные чтения История балета: Источниковедческие изыскания」を聴講した。私の母校であるリムスキー=コルサコフ記念サンクト・ペテルブルク国立音楽院で恩師のナターリヤ・ドゥナーエワ女史が主催している学会だ。舞踊科舞踊学(歴史・評論)科(現在閉科)の文献学の授業を受け持っていらっしゃった。毎年5月に先生お一人で運営しているこの学会は小規模ながら学校内外からの発表希望者が多く、今年私は聴講者に甘んじた。

そもそも舞踊科の文献学では何を教えているのかというと、まず舞踊や舞踊家について調べられるようなあらゆる事典の成り立ちとその特徴について、また新聞、雑誌、回想録や日記の紹介とそれらを情報源として扱うときの注意、アーカイブの紹介等、今思えば研究者にはとてもありがたい内容だった。初めの頃こそ延々と事典をあたってひたすら書き写すという作業に辟易したが、後になってアーカイブで実際に手稿を目の前にして判読しづらいロシア人のキリル文字と格闘したときは心躍るものがあった。徹底的に調べ上げる、というのがドゥナーエワ女史の方針で、ある楽譜の出処を突き止めるためにロシア国立海軍アーカイブへ行くように指示されたときはさすがに驚いた。結果はドゥナーエワ女史の慧眼たるや、というものだった。

学会発表者の多くがドゥナーエワ女史の叩き上げの元生徒、もしくは薫陶を受けた研究者でいずれもアーカイブ渉猟の猛者達である。そのほかモスクワの有名なバレエ史研究家エリザベータ・スーリツ女史も常連だ。皆が皆、アーカイブの底に眠っていた未発表資料を愛情をもって紹介する。一人15~20分と決まっている発表時間を大きく超えてしまうこともまれではない。最後の10人目が終わる頃には情報過多で発表者、聴講者ともに疲労困憊となる。「文献学とバレエ」という広いくくりなので扱われるテーマは多岐にわたるのだが、舞踊家たちの手稿から新たに判明した事実、バレエ創作の知られざる経緯などが大半である。

今年は20世紀初頭の映像についての発表も二つ含まれていた。その内の一つは芸術学研究所の研究員セルゲイ・コナエフ氏による無声映画バレエに伴奏をつける試みである。インターネット上で『楽興の時[原題Moments Musicaux]』としてよく知られているゲリツェルとチホミロフの小品は、実はシューベルトの同名作品のみが使用されているのではなく、ショパンのノクターンも使われていることがロシア国立文学芸術アーカイブとボリショイ劇場楽譜アーカイブでの調査により判明した。この作品は正しくは『愛の幻想』(振付:ゴールスキー)といい、『海賊』の作品中に挿入されるかもしくは、ショーで単独上演されていた。1913年に映画監督プロタザノフが撮影を行った。ショパンのノクターンOp.27, No.2とシューベルトの楽興の時Op.94, No.3をゲリツェルの愛したヴァイオリン演奏で流すと確かに動きとぴたりと合う。不適当な音楽のもとではダンサーたちの前時代的な姿かたちばかりが強調されて笑いを誘い、専門家のあいだで「あのひどいフィルムэтот ужасный фильм」と名付けられている映像だが、正しい音楽を得て、その真価が初めて明かされた。ダンサーの動きが音楽と調和したとき美が生まれる、そのことを改めて感じさせられた。

舞踊家たちの刊行されていない手稿をほぼ毎年紹介しているのがナタリヤ・コルシュノワという、こちらも芸術学研究所研究員である。今年は「1910-1920年代のモスクワ演劇生活」と題して俳優でダンサーでもあるアレクサンドル・ルームネフ(1899-1965)の子供時代の回想録を取り扱った。裕福な家に育ったルームネフは幼少期からボリショイ劇場、マールイ劇場、自由劇場に通い当時の有名歌手や俳優たちの演技に心を奪われた。イザドラ・ダンカンを想像して母親の前でシーツをかぶって真似てみせるなど子供らしいエピソードに聴衆の顔がほころんだ。やがてタイーロフのモスクワ室内劇場の俳優として活躍、のちには映画大学の教授にまでなる彼の学生時代の失敗談など、歴史上の人物を身近に感じられる興味深い発表だった。

入念な調査に加えて文学的才能で聴衆の関心を集めていたのが音楽院の若い生徒ボグダン・コロリョクだ。彼は音楽院舞踊科舞踊学科の最後の世代にあたる。バレエ『パルチザンの日々』(作曲:アサーフィエフ)の長きにわたった創作過程(1933年~37年)を当時の新聞雑誌、関係者の回想録、オリジナル総譜の丹念な調査に基づいて解明し、ソ連政府による芸術への政治的圧力についても言及しながら論じた。彼によれば、革命20周年を記念して作られたこのバレエは失敗に終わり、20周年を祝うというよりむしろその後苦しい道をたどるソビエト・バレエの歴史を暗示していたという。

日本のバレエ界の発展にも寄与するところが大きいソビエト・バレエだが、ロシア国内においても研究がじゅうぶんになされているとはいえない。若い世代によって新しい見方が提示される可能性もある。その可能性が生まれる場を守り続けてくださっている人々の一人がドゥナーエワ女史なのだ。バレエ史はなおのことバレエそのものに対する世の中の関心が薄らぎ、厳しい出版状況の中でも情熱を絶やすことなく研究を続けている。昨年80歳の誕生日を迎えてなお自分にも他人にもストイックさを求めて揺るがない女史のご健康と益々のご活躍を祈る。

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