-滞在記- 若手研究者等フェローシップ( 2017 年度)

笹山 啓

モスクワの物価はやはり大都市らしく、家賃や外食などについては東京と比べても同程度、ときには割高感すら覚える場合もある。だが実は、美術館や映画館、演劇の劇場といった芸術関係の施設は、非常に安価で楽しむことのできる街でもある。筆者がよく訪れたモスクワの美術館は、とりわけ学生の身分であれば数百ルーブル、日本円にして300~500円程度(2017,8年時点)という安さで入場できることが多い。しかも施設内では滅多に人ごみに巻き込まれることがなく、多少のおしゃべりや記念撮影は咎められることもないので、個人的な感覚ではあるが、日本の美術館に比べると足を運ぶまでの心理的ハードルが格段に低い。 モスクワの美術館として日本で有名なのは、トレチャコフ美術館やプーシキン美術館といった、ロシア並びに西欧の古典芸術を数多く収容した美術館だろう。しかし、ロシアの現代文学ならびにソ連の非公式文化を専門とする筆者は、自然とそうした時期の芸術作品に多く触れられる美術館に足が向く。たとえばトレチャコフ美術館には、19世紀ごろまでのリアリズムの古典絵画を中心に収蔵する本館のほかに、モダニズム以降の作品を収蔵する新館がある。20世紀初頭のロシア・アヴァンギャルドの作品に見るべきものが多いのはもちろん、ソ連時代の遺物として十把一からげに語られがちな社会主義リアリズムの作品のなかにも、多くの名品があることに気づかされる。 トレチャコフ美術館新館を出て、道路を挟んで向かい側、ゴーリキー公園のなかに作られたアートスペース「ガレージ」は、常設展示を持たず、現代美術の企画展示を専門とする展示場で、建物自体も世界的に著名な建築家レム・コールハースの手になる秀麗なものだ。2017年に日本の現代美術家・村上隆の展覧会が行われたのがここである。筆者の滞在中には、イリヤ・カバコフやグリーシャ・ブルースキンといった、ソ連の非公式芸術の大御所の作品が、1988年に英国の競売業者「サザビーズ」のオークションにかけられ値が付いたという、ソ連美術史上の画期をなす出来事に関する記録展示が行われていた。比較的小規模な展示ではあったが、ソ連の地下文化が西側資本主義の明るみに初めて登場した記念すべきイベントの雰囲気を存分に感じ取ることができた。 モスクワで現代美術といったとき忘れてはならないのが、モスクワの中心部・トベルスカヤ通り近くの本館含め、モスクワ市内に4つの展示場を持つモスクワ現代美術館である。ソ連期~現代のロシアアートに興味のあるものであればまず始めに足を運ぶべき美術館といえるだろう。ここでとりわけ印象に残ったのは、ウラジーミル・ヤンキレフスキー、アレクサンドル・コソラポフといった、ソ連時代から非公式で活動を続け、現代まで活躍し続ける芸術家たちの個展である。ソ連文化に関する知識がなくとも、彼らの作品は一目のインパクトが強いので十分に楽しめるだろう。ぜひ日本にも広く紹介されてほしいと思うアーティストたちだ。またロシア連邦・ダゲスタン共和国出身のアーティスト、タウス・マハチェワなど、若手の個展も大々的に開催されていた。

アレクサンドル・コソラポフ「英雄とリーダーと神」

モスクワ美術館では、詩人レフ・ルビンシテインと、彼と関係の深い芸術潮流である「モスクワ・コンセプチュアリズム」の作品が一堂に会する展示があった。モスクワ・コンセプチュアリズムは、日本では作家ウラジーミル・ソローキンの名前とともに紹介されることが多いが、ほかにもカバコフほか、ドミートリー・プリゴフやアンドレイ・モナストゥイルスキーといった大物芸術家を擁し、現在活発に研究が進んでいるソ連非公式文化の重要な一角のひとつである。

マルチメディア・アート・ミュージアム・モスクワは、絵画に限らず国内外の写真家や映像アート作家の企画展示を5階建ての施設でおこなう、これもまた美術好きがモスクワを訪問した際には絶対に外せないアートスペースの1つである。ここではパーヴェル・ペッペルシテインという、彼もまたモスクワ・コンセプチュアリズムの雄の1人である画家の個展が開催された。数千年の時間的広がりの中で展開される彼のSF的な想像力は、見る者が持つ「ロシア」のイメージを一瞬で押し広げてくれるだろう。

パーヴェル・ペッペルシテイン
「西暦2700年、陰陽マンダラ型間銀河巨大ターミナル」

変わり種としては、ソ連期の非公式芸術家アナトーリー・ズヴェレフの名前を冠した「AZミュージアム」がある。ここで出会ったズヴェレフやドミートリー・クラスノペフツェフといった画家は、上に紹介してきた芸術家たちに比べるとロシア国外での知名度は劣るものの、作品のおもしろさで引けを取ることはない。館内の雰囲気も良く、ひそかにお勧めしたい美術館である。 ここに紹介したもの以外にも、モスクワには美術館・ギャラリーが数多く存在する。イタリアやフランスの古典芸術も魅力的ではあるが、せっかくロシアに足を運ぶのなら、知る人ぞ知るソ連非公式芸術やロシア現代アートの世界に身を浸してみるのもよいのではないだろうか。

日露青年交流センター Japan Russia Youth Exchange Center
このページの文章、画像等一切の無断使用を禁止します。また、リンクを張る際は必ずご連絡下さい。
All right reserved, Copyright(C) Japan Russia Youth Exchange Center 2000
オススメ記事

All right reserved, Copyright(C)
 Japan Russia youth Exchange Center 2000-.