第3回日露学生フォーラム2008
2008年11月、モスクワの南方600kmに位置するベルゴロド市のV.G.シューホフ名称ベルゴロド国立工科大学において、「日露学生フォーラム2008」が行われました。これは、2006年のモスクワ大学、2007年の北海道大学での日露学生フォーラムに続く3回目のフォーラムとして行われたものです。
ベルゴロド国立工科大学は、教育分野における国際協力の発展への寄与が認められてフォーラムの開催場所として選ばれました。
大学を挙げての歓迎ムードの中、ベルゴロド到着から出発まで、日露双方の学生による討論を中心に、市内視察、交流プログラム、スポーツプログラムなど綿密に予定が組まれ、非常に充実した滞在となりました。日本側参加者はロシア人のホスピタリティーを肌で感じ、ロシアに対して持っていたイメージも大きく変化したようです。
モスクワでは、日本大使館を訪問し、齋藤大使、今村公使と懇談することができ、大使館の役割や外交官の仕事についてお話を伺い、質問にも丁寧に答えていただきました。また、市内視察では、8月のJC学生ミッションで来日したモスクワ大学の学生が合流して、短時間ではありましたが交流することができました。
6泊7日の滞在中、車中2泊、機中1泊という強行スケジュールでしたが、体調を崩す参加者もなく、実りの多いプログラムとなりました。
午後、外務省に日本側参加者全員が集まり、事前勉強会を行いました。ロシア情勢や日露関係についてブリーフィングを受けた後、分科会別に分かれて、議論の方向性などを話し合いました。また、記念品として、“Japan-Russia Student Forum 2008”のロゴ入りタオルを学生が作ることになりました。日本側参加者同士の意見交換が盛り上がり、半日では足りない様子でした。
全員初めてのベルゴロドへ向けて成田空港を出発、モスクワ到着、入国審査など予定通りで大きな遅れや混乱はなく一安心。ところが、モスクワのシェレメチェボ空港からクルスク駅への移動中、モスクワ名物の渋滞に遭い、クルスク駅到着は列車出発時間の10分前、全員列車に乗り、荷物を積み終わったのは発車の3分前というスリルを味わいました。
各車両に車掌のおばさんがいる寝台列車では、ロシア紅茶も注文できます。2段ベッドによじ登って足を伸ばすと、長時間飛行の疲れから、すぐに寝入る人、乗り合わせたロシア人乗客と話がはずむ人といろいろでした。翌朝、地平線から上る朝日を見ながら、ロシアの広さを実感しました。
ベルゴロド駅では、早朝の到着にもかかわらず、工科大の学生が大勢出迎えに来てくれていたのは感激でした。歓迎の嵐の中、ホテルへ向かいました。
朝食には、そば粒粥(гречневая каша)、カテージチーズケーキ (творожная масса)、きのこのサラダ、ビーツサラダ、具沢山のスープ、パンケーキ、ケフィール、黒パンなどロシアならではのメニューが並び、大都市の大きなホテルにはない温かさがあって、夜行列車に揺られて空腹の参加者には好評でした。朝食のあと、フォーラムの会場であるV.G.シューホフ名称ベルゴロド国立工科大学へ。
V.G.シューホフ名称ベルゴロド国立工科大学は、1957年創立。学内に建築資材、経済・経営、工学機器、建築学、IT、自動車・運輸、環境工学等の単科大学があり、工業、経済分野の人材育成が行われています。学生数は、2万3千人以上、32カ国の学生が留学しています。研究設備その他のインフラなど最新設備が整えられ、ロシア国内でも最も設備の整った大学のひとつです。米国、英国、ドイツ、中国等の大学との協力も活発です。
大学に着くと、民族衣装を着た女子学生からロシアの伝統に従い「パンと塩」で歓迎を受け、大学創立者であるV.G.シューホフの銅像に一人ずつカーネーションを献花しました。
V.G.シューホフは、19世紀半ばから20世紀前半に活躍した技術者・発明家で、世界初の石油パイプラインを作ったほか、モスクワのシャーボロフスカヤのラジオ塔、グム百貨店のアーケード、キエフ駅のプラットフォーム、プーシキン美術館等を設計しました。
フォーラム開催を記念して、キャンパス内のベルゴロドの町を見下ろす丘に記念の植樹を行いました。クリの苗木を植え、参加者が順番に土をかけ、水をやりました。大きく育つことを祈るのみです。
ロシア側の基調報告「一つの情報空間」では、南アフリカで遠隔教育を研究中の同大卒業生とのライブ中継が披露されました。セレモニーに続いて、学生や教員、地域の歌手、演奏家、ダンサーのコンサートによる歓迎を受けました。迫力と華やかさに日本側参加者は圧倒されました。
学内食堂で着席式の立派なレセプションが行われました。食事のあとはバンドの生演奏もあり、ダンスを楽しみました。日本側学生が作成したロゴ入りタオルを記念品として参加者全員に配って、交流も盛り上がりました。
講義棟入口で「環境問題」「外交問題」「社会問題」の分科会ごとに分かれて各会場へ移動しました。各分科会では担当教官が口火を切る形で、ディスカッションが行われました。
「外交問題」分科会では、ロシアの民主主義、日露のパートナーシップなどについて話し合う中で、これまでロシアに対して抱いていたイメージが一変しました。
民族文化博物館では、「パンと塩」で歓迎され、布と毛糸で民芸品の人形を作りました。フォークダンスのマイムマイムのような伝統的なダンスゲームを楽しんだ後、リンゴジャム入りピロシキとけし粒入りパンでロシア式に紅茶をいただきました。
夕食後、学内のホールでロシア側学生のリードで、ダンス&ゲームプログラムが行われました。子供に返ってダンスやゲームに興じるうちに自然に交流が深まりました。日本側もギター伴奏で歌を披露するなどして場が盛り上がりました。
スポーツプログラムでは、バスケットボール、バレーボール、卓球を通じて交流をしました。
体育館では、ロシア側は身長190cm超級の運動部の学生が整列、観客席は応援の学生で満席でした。本格的な日露対抗試合は、レクリエーションスポーツを予想していた日本側学生には、まさにハプニングでした。圧倒的な体力差にもかかわらず、日本側も大健闘しました。
勝敗はともかく、肌の触れ合う交流となったことは間違いありません。
地元のテレビや新聞の記者が集まり、日本側代表(分科会リーダー、同行者)の記者会見が行われました。学生フォーラムについての取材と思いきや、日本についていろいろな質問が出されまし。質問は日本の若い世代の関心事項や女性の果たす役割、若者の活字離れ、電子書籍にまでおよびました。日本に対する関心の大きさと情報の少なさが感じられました。
始めに、分科会で話し合われた内容について参加者から報告がありました。
各分科会の報告は次のとおりです。
発表後、ロシア側参加者からも所感が述べられ、副学長より日露のフォーラムの参加者一人一人に表彰状が授与されました。
セレモニーの後、歌や演奏、民族舞踊、モダンダンスなどの送別コンサートが盛大に行われ、最後に舞台で花火が上がって感動的な幕切れとなりました。
送別コンサートの様子最後に日本側が、学長夫妻を始め、大学関係者、ロシア側学生を招待してお別れの会を催し、和やかな雰囲気でベルゴロドでの3日間を締めくくりました。列車の出発時間が迫る中、アドレス交換をしたり、写真を撮ったりして別れを惜しみました。
お別れ会早朝のクルスク駅(モスクワ)で、初日にお世話になったガイドのマリアさんと合流、市内視察へ。「赤の広場」を見学、30分ほど自由時間となりました。国営グム百貨店は今やスタイリッシュなショッピングセンターとなっていますが、裏側の階段などは昔のままでノスタルジーを感じました。ソチ冬季オリンピックの公式マスコットとなったチェブラーシカを扱う店が学生に人気でした。百貨店の屋根はベルゴロド国立工科大学の創始者シューホフの設計です。
厳重なセキュリティーチェックを受けて、みな緊張の面持ちで大使館内部へ入りました。
齋藤大使は気さくに学生に接してくださり、今回のフォーラムで学んだことや今後の希望など学生の発言に耳を傾けてくださいました。 外交官として重要な資質として、魅力ある人間であることが大事で、外交の原点は友達を増やすことだという話には多くの学生が共感していました。 今村公使からは大使館の果たす役割についてブリーフィングしていただきました。
クレムリン、武器庫の見学に加えて、好奇心旺盛な学生は、ソビエト時代は2‐3時間待ちだったというレーニン廟を見学しました。ガイドのマリアさんのわかりやすい説明のおかげで、ロシアの歴史にも触れることができました。5日間いたロシアともお別れです。
ブドウの皮を剥いていたところ、隣のロシア人がつぶやいた。—– ねえ、それ、何してるの?
これは私にとって衝撃的な質問であった。「皮を剥く」という私にとって至極平凡な行為が、彼女目には「大きな謎」として映ったらしい。なんでも「ロシアでは皮ごと食べるのが普通」とのこと。思いもよらぬ質問に困惑した私は、「我々の伝統ですから」 と答えたところ、相手はひとしきり笑い、納得してくれた。よほど私が「困惑顔」をしていたらしい。
違うところで育ってきた違う者どうし。そんな人たちが集まったフォーラムでは、いろんな「違い」が転がっていて、その「違い」の数だけいろんな「発見」があった。日本人とロシア人との交流もさることながら、我々日本人メンバーどうしの交流もなかなか貴重な体験となった。いろんな大学の人たちと一挙に出会える機会というのも、よくよく考えたらそうそうあるものではない。このフォーラムに関係されたあらゆる方々へ感謝いたします。ありがとうございました。
ロシアの方々はとても温かく私たちを迎えてくれて、彼らの胸を借りて本当に良い交流ができたと思います。 フォーラムが終わってからも私たちはインターネットを通じて連絡を取り合っています。 フォーラムという環境に身をおいたことで、良い緊張感の中で生活できて、怠惰になることなく濃い時間を過ごすことができました。 机の上で学ぶことももちろん大切ですが、実際にその場に行って体全体で感じることは、 世界のことを互いに理解しなくてはならなくなった現代においてとても有意義な方法だと今回のフォーラムを通して強く感じました。
モスクワで駐露大使を表敬した際に、大使が強調されていたのが「外交は、国力と個人的魅力の二つから成る」ということでした。今回訪露した他の19人は、経験豊富で社交的であり個人的魅力という点では申し分のないメンバーでした。しかし、一方で忘れてはならない事実は、今回参加した日本人学生全員が高学歴であり、その中の大半が豊富な海外経験を持っていることです。学歴と所得の正の相関が統計的に有意であることは言うまでもなく、海外経験も経済的基盤があればこそ得られるものです。つまり、私が今回のフォーラムを終えて感じるのは、国力と個人的魅力という二つの独立変数が外交に影響を与えているというよりは、国力→個人的魅力→外交という一連の因果関係です。
現地の学生が日本人を熱烈に歓迎してくれたことには驚きである同時に、一つの発見でもありました。ベルゴルドが、外国人が来ることが少ない地方都市であることを割り引いても、日本のポップカルチャーに詳しい女子学生、日本のアニメ、ゲーム、村上春樹の小説について夢中になって語るロシア人学生の瞳は忘れられない衝撃です。今回のフォーラムでつくづく感じたのは、日本のソフトパワーというものが実在していて、それが日本人と外国人(ロシア人)との距離を縮めているということです。しかし、このソフトパワーの源泉は何かというと、それは過去の世代が築き上げてきた高度な経済発展及び先端を走る科学技術ではないかと思います。そもそも娯楽を享受できる中間層及び富裕層の発達がなければソウトパワー自体が生まれません。さらに、私の担当していた外交分科会でも再三言及されたことは、日本の持つ高度が技術(原子力、高速鉄道、資本集約型産業、ナノテク等)へのロシア側の期待でした。日本イコール経済力&先端技術、このようなイメージは日本国内で語られる以上に海外では強いのです。このような対日イメージの良さが、日本のポップカルチャーへの興味のエンジン役となっていることは容易に想像がつきます。翻って現実はどうかというと、日本のGDPは過去15年でほとんど成長しておらず、一人当たりGDPでもシンガポールに抜かれアジアの中でさえトップではありません。一部のグローバル企業のみが豊富な手元資金で研究開発を行っている状況では、技術面における優位性も損なわれていく可能性があります。私たちが今回のフォーラムで享受できた素晴らしい歓待を20年後も日本人学生は得られるでしょうか。それは日本の成長力に懸かっていると思います。
ロシア人に対して色々と偏見に近いイメージがありましたが、そのいずれもいい意味で裏切られました。どちらかといえばウォッカは苦手。陽気に踊り、そしてジョークを飛ばす。ロシア人学生と実際に触れ合うことができたのは3日間と短かったのですが、分かれる際には思わず涙してしまいました。
私たちがベルゴロド駅に到着するのにあわせて、ロシア人学生が駅まで迎えに来てくれたのは、うれしい驚きだった。その時バスで隣に座ったカリーナは、その後のレセプションや観光のとき、いつも私にロシア語から英語への通訳をしてくれた。また、大学の見学やレセプション、分科会、スポーツ交流など、私たち日本人が様々な体験ができるようプログラムされていて、ロシア人の暖かさやホスピタリティー精神を、端々で感じることができた。私たちが帰る日の夜、ロシア人学生や先生たちが駅のホームまでやって来て、歌を歌いながら列車を見送ってくれたことを、私はいつまでも忘れないだろう。
今回のフォーラムに参加する前、私がロシアについて抱いていたイメージは、強い政府、ウォッカ、マトリョーシカ程度のものだった。なので、同年代のロシア人学生と直接話しができたことが、今回のフォーラムの中で、最も興味深い経験だった。率直に言って、彼らの考え方や感じ方には、日本人ととても近いと思う部分と、なかなか共感しにくい部分があった。それらの日本人とロシア人の共通点と相違点を、直接の意見交換や体験を通して知ることができたのは、とても貴重な経験だったと思う。
近くて遠い大国ロシア。ヨーロッパなのかアジアなのか、街並みはどこかアラビアさえも思わせる。日本とロシアは歴史的にも今日に至るまで様々な問題を含んでいることは事実である。しかしロシア人の学生たちとの交流と温かなもてなし、そして別れの際に流した涙の中に日露の今後の友好関係が見えた気がする。それは資源や安全保障といった戦略的な外交関係を超えて、お互いの国を愛するということであろう。
所属していた環境分科会に関しても、ロシア人の環境意識の高さは予想以上であった。むしろ学校教育における環境教育の制度は日本よりも整っているのではないか。さらに日本の高い技術力によりロシアの資源がさらに有効活用されることで共に地球温暖化に立ち向かっていけると確信している。
私の日露交流はまだ始まったばかりである。自分に何ができるのか、それを日々模索して行動していきたい。
現地の人が大歓迎してくれたのが本当に嬉しかったですし、遠い国の様な存在であったロシアを肌で感じる事ができ、6日間が興奮の連続でした。けれども私達が訪問した大学の学生達は英語力や他にも色んな面で、議論の発展性に物足りなさを感じてしまったのは正直あります。フォーラム以外の場の、普段の会話でもグルジアの話等、マスコミではなくロシア人の生の声から意見を聞きたかったのですが、「あれは政府が勝手にやっている事よ」と、それ以上に話が膨らまなかったので・・・もっと色々とロシア国民としての意見を聞きたかったです。
ロシアに対する事前知識も満足に入れられずにスタートした本フォーラム。 事前にみんなで固めた議論の土台が通用するか、コミュニケーションが難なく図れるか、 そんな緊張とわくわく感で飛行機の時間はあっという間だった。列車の旅も経ていざ、初対面。 相手の積極さと包み込まれるような熱気に圧倒された。ロシア学生が熱心に日本学生に話しかけ、互いに英語に苦労しながらも体全体で伝えようとしてくる。 このフォーラムが相手にとってどれだけ大事か、そして自分も全力で相手にぶつからなくてはいけないことがはっきりと分かった瞬間だった。政治よりも社会環境、 身近な質問を数多くなげかけられた。その中で日本の国際社会におけるイメージが少しずつ露わになり、ロシア人学生の今の関心が垣間見れる。国際情勢を頭に入れて俯瞰するロシア像も大事だが、 このように生の刺激を得、肌感覚でロシアを知るのはこのフォーラムならではの体験だと思う。
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