-滞在記- 若手研究者等フェローシップ( 2009 年度)

岩尾泰久

2009年12月

クラスノヤルスク地方について、日本ではあまり知られていないので、この場を借りて紹介したい。クラスノヤルスク地方はロシア中央部に位置する。ロシア連邦内で2番目に面積が大きく、モンゴル近辺から北極海まで続き、南北の距離は約3,000kmある。クラスノヤルスク中央部を貫くエニセイ川はモンゴルから北極海に流れ込み、世界第5位の長さである。その流域面積はユーラシア大陸で最大である。

その地方の行政中心を担うのがクラスノヤルスク市である。クラスノヤルスク市はストルビ国立公園を始め、美しい自然の中にあり、東シベリア最大の工業都市である。その人口は948,500(2009年1月)人で、シベリアでは3番目に多い。またシベリア鉄道が通っているが、観光を産業の中心にしていないため、観光客は少ない。1997年に橋本首相とエリツィン大統領との日露首脳会談が行われ、クラスノヤルスク合意が交わされた。こちらの人がクラスノヤルスクを紹介するときには、かならず10ルーブル紙幣が登場する。

その紙幣には、クラスノヤルスクの橋と聖パラスケバ聖堂が表に描かれ、裏には水力発電所が描かれている。この水力発電所ができたために、真冬でもエニセイ川は凍らず、気温よりも水温の方が高いために、川の水面から水蒸気が上がる光景をよく目にする。

クラスノヤルスク州立医科大学は中心街より少し離れたエニセイ川の沿岸にある。窓からはいつも幻想的で雄大な自然を見ることができる。自然のあふれる環境の中で、研究できることを嬉しく思う。本フェローシップでは、同大学の微生物学教室に滞在し研究を開始した。実験道具は懐かしい時代のものばかりである。日本でも使用しているところはあるだろうが、近年では稀なものばかりである。日本ではガスバーナーを使用するが、こちらではアルコールランプを使用する。試験管の蓋はプラスチックではなく、綿栓である。実験後、消毒のため実験台などに80%エタノールを散布するが、こちらでは滅多に使用しない。当初は気になることもあったが、今はこの環境にだいぶ慣れてきた。

クラスノヤルスク州立医科大学

現在、微生物研究室には遺伝子研究用の実験機器が揃っていないため、同大学内にあるKotlovsky教授の中央リサーチ研究室に通い実験を行うことになった。中央リサーチ研究室はバクテリアの遺伝子解析を行ったことがなく、毎日試薬や機器のコンディションの検討会とMRSAの同定実験に時間を費やした。同研究室にとっても、新しい試みとして興味を示し、技術面での議論が絶えなかった。

中央リサーチ研究室カトロフスキー教授室にて

今回、微生物学の授業に参加する機会を得た。2人の学生がプリオン病について発表を行った。発表後は全員でディスカッションが行われ、積極的に質疑応答が交わされた。ロシアの医学部授業では発表形式の授業が多く、授業内容も濃いものになっていた。

学生の発表の様子

新潟大学では、私もティーチングアシスタントとして、医学部3年生の授業と実習を手伝い、小グループ学習も担当している。日本の医学教育では教員の数も少なく、集団一斉授業が多くなってしまうのが現状である。ロシアの医学教育では教員の数も多く、1つの講座に15名前後の教員が配属されており、きめ細かな教育が行われている。ロシア教育では、学生各人が自ら考えることを重視している。日本教育では、集団教育によって学生各人の質を高めることを重視しており、両国の教育方針には相違があるようである。

今月はあいさつ回りや新年パーティなども多く、それらにだいぶ時間を費やした。訪露後、学長および副学長と会談し、大学の音楽祭、新年パーティおよび学長パーティの招待を受けることになった。同大学にクラスノヤルスク州知事訪問があり、各分野の研究が構内に展示され、学長が知事に各分野を紹介していた。急遽、私も微生物分野の展示物の前に行くことになり、短い時間ではあったが、州知事とお会いする機会を得た。

新年パーティはナイトクラブを借り切って行われた。学生による余興もあったが、一年間教育に力を注いだ教授たちが大学内の賞を受賞し、まるでアカデミー賞の授賞式のようであった。
学長パーティは本来教員のみのパーティで、院生の私が参加できると思いも寄らなかった。レストランを貸し切り、みな素敵なドレスを身にまとい、とても華やかなパーティであった。参加者数は約250名であった。「何か余興をして欲しい」と、学長の依頼があったので、拙いロシア語で新年のスピーチをした。このスピーチは、私が最初に覚えたロシア語である。こちらの人は話とダンスが本当に好きで、学長を含め、多くの先生がフロアの中央に出て踊る。私も率先してダンスに参加した。ダンスに参加したことで、多くの先生と知り合うことができた。

休日にはクラスノヤルスク市から40km南にあるディブノゴルスク市に行き、少年の部のレスリング大会を参観した。レスリングのオリンピック金メダリストであった故イワン・ヤリギン選手を始め、クラスノヤルスク地方出身の選手が多くの大会で活躍しているため、この地域はスポーツがとても盛んである。極寒の地を感じさせないほどである。同大会を参観されたディブノゴルスク市長ともお会いし、食事まで同席させて頂いた。

日本では体験のできないことを体験させて頂き、本フェローシップに採用されたことに感謝したい。

微生物学研究室のコホロワ先生(左端)、ペリアノワ教授(右から2人目)
プラタコヴァ先生(右端)

日露青年交流センター Japan Russia Youth Exchange Center
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