高橋沙奈美
伝統的なイコンでは、この絵は聖堂を背景に、幼子イエスを抱いたマリアが王座に座りそれを栄光の光がとり囲むという図であるが、ヴァスネツォーフの構図はそれとは大きく異なっている。聖母マリアは祝福にこたえるように、両手を大きく掲げ、彼女より上の部分を天使が、下を人間たちが崇敬の姿勢で取り巻いている。これらのヴァスネツォーフの宗教画は、19世紀末、正教会や信仰に疑いの目を向け始めた知識人らに、再び正教の教えを呼び起こす目的も担っているという。
土曜だというのに、客より売り子の方が多い状態で、置いてある売り物も、それほど魅力的とは言い難いガラスのおもちゃや、花瓶、食器など。儲かっているのかいささか疑問な小市場である。
グーシは現在人口7万5千人の小都市で、その歴史はこの町にガラス工場が建てられた1756年から始まる。ウラジーミルから続く街道をまっすぐ行くと、聖堂に行き当たった。近くにいたタクシー運転手に、ゲオルギー聖堂はどこか尋ねると、それがまさにゲオルギー聖堂だという。ゲオルギー聖堂は、20世紀初頭に建てられた後、すぐに革命を迎え、閉鎖されてしまった。その後、1920年代に「労働宮殿」として使用されたのち、ようやく80年代にヴァスネツォーフのフレスコ画が修復された。
われわれが眼にした聖堂の内部に残っているのは一部に過ぎず、外壁の飾りや壁画はほとんど残っていない。午後の早い時間の聖堂の内部は、がらんとしていて、数人のおばあちゃんがお灯明をあげているばかり。破損の状態は著しいものの、トラーペズナヤ(教会建造物の一部。至聖所のある聖堂と鐘楼の間のホールの部分)には、3つのおおきなフレスコ画が残っていた。中央が、博物館で目にした「О тебе радуется」とほぼ同じ構造をもつ、聖母マリアと天使の絵、至聖所からむかって右には、キリストが使徒と思われる2人の男性に囲まれた絵、左には、キリスト復活と思われる絵が描かれている。博物館に保存されているものよりも格段に大きな絵で、色彩が心もち明るい気もする。革命以前から残っている古い聖堂や、モスクワのクレムリンの中の中世のイコンが並んだ聖堂、はたまたソ連崩壊後に内部を一新した金ぴかの聖堂とは、かなり趣が異なる。落ち着いていて、質素で、それでいてみる者の心を豊かにするような絵画である。とはいえ、多くの部分が修復の際に、漆喰で白く塗りつぶされてしまっているから、そのような「質素」な感覚を与えるだけかもしれない。
小さな聖堂を見てしまうと、街の中にはほかにクリスタル博物館がある程度で、ほかにこれといって見るものもない。ウラジーミル大学の宗教学研究室で教鞭をとる傍ら、グーシの司祭を勤めているマクシム神父と久しぶりに再会し、彼の勤める小さな教会学校でお昼をごちそうになった。ゲオルギー聖堂を見に来たという我々の話を聞くと、それなら面白いものを一つ見せましょう、と再びわれわれが見てきた聖堂に案内してくれた。時間はちょうど5時前で、たくさんの信者で人だかりができていた。どうやら村落の方から出てきた人も少なくなさそうだ。小さな都市の教会に、毎週どのくらいの人がやってくるのか、平均的なことはわからないが、とてもよくにぎわっている教会のように思われた。信心深いグーシの人々を後に、帰路に就く。
5月はダーチャでの本格的な仕事始めの時期となるが、私も週末はダーチャにお邪魔して、そこでのゴミ拾い、草刈り、種まきなどに汗を流し、そしてシャシリクのご相伴にあずかった。 モスクワやペテルブルグに住んでいれば、多くの催し物で楽しめるけれども、やはりダーチャの楽しみを味わわなくして、ロシアの娯楽を知ったとは言えないと思う。
5月の初旬には、リンゴとさくらの花が咲き、大変美しかった。その後は、大量の蚊が発生して、なかなかに悩まされつつも、ラディッシュ、ネギ、バジルの種をまいた。どれも食べ物ばかりね、と女主人に笑われた。もうすぐラディッシュが収穫できる。2年前にもかぼちゃやバジルを植えたが、あまりに寒くて雨の多い夏だったので、何も採れなかった。そういうわけで、今回が初めての私のУрожай(収穫)となるわけで、大いに楽しみである。 研究の方も豊作となるといいのだが…。
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