日本人青年によるロシア側コミュニティにおける交流を図り、ロシアで高まっている 日本語学習需要に応えるためにはじめられた事業で、日露青年交流の一環としてロシアの教育機関と日本語教師との仲介や支援を行っています。 従来より日本語教育の盛んな大学をはじめとして、設立されたばかりの夜間大学や専 門学校まで、日本語を学ぶ人、層はさまざまですが、その旺盛な学習意欲に応えるべく授業に取り組んでいます。 また、日本語を教えるのみならず日本の文化を紹介するなど現地の若者との交流も期待されています。 2000年の選考の状況をお知らせすると 日本語教授法を学んだ経験(大学の主専攻・副専攻、日本語教育能力検定試験合格者、日本語教師養成講座修了者)があることを前提に、
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派遣教育機関一覧 |
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リャザンはモスクワから南東200キロの所にある工業都市で人口は約60万人、リャザン州の州都です。日本人は私の他には住んでいません。以上の情報しかなくて不安もありますが、唯一作れるロシア料理のボルシチを食べて、新設される日本語コースの学生と一緒に頑張ります。
本大学では日本語のコースが始まってまだ4年足らずですが、当地における日本への関心は高くこれからも学習者数は増えていくのではないかと思います。そんな中で、ネイティブ教師の責任の重さをひしひしと感じながら試行錯誤の毎日を送っております。
楽しいのは学生とのパーティ!!手作りのピロシキは最高ですよ。
今回、新規でハバロフスク国立経済大学法律アカデミーに派遣されることになりました。多少の不安もありますが、細かいこ細かい事はあまり気にせずロシアの学生達と交流していきたいと思います。新しい地ロシアで新しい人や文化に接し、相互理解していけるよう頑張ります。
エカテリンブルグが外国人に開放されて10年、ウラル大学で日本語教育がはじまって6年、だんだん環境が整いつつある状態です。
学生達は第二外国語として日本語を勉強しています。毎年秋に学科の創立記念日で日本語劇を発表したり、日本に関する学年論文を書いたり、日本語と日本に関する知識をどんどん吸収していってます。
私が赴任した大学では、学生達は日本語と英語の両言語を専攻して、毎日一生懸命勉強しています。日本語に一番近い外国の一つであるサハリンで、日本語教師熱はますます高まりつつあります。
極東国立総合大学は極東ロシア有数の高等教育機関であり、100年以上にわたる歴史があります。しかし、国際関係学大学で日本語教育が始められたのは、5年程前に過ぎません。学生たちは日本語を第2外国語として熱心に学習しています。機知に富んだ彼らの熱意に応えるため、授業に手抜きは許されません。
クレムリンの[向いにある、モスクワ大学ジャーナリズム学部で日本語を教えています。日本語を勉強している学生はまだ少ないですが、いろんな個性の人が集まっていて楽しいクラスです。
大学ではイラン、大学院では日本語言語学を専攻していました。日本で数ヶ月、日本語を外国人に教え、その後アメリカに3年いました。4月に帰国し、逆カルチャーショックから立ち直れないままロシアに向けて旅立ちます。
南ロシア北コーカサス、スタヴロポリ州にあるピャチゴルスク国立言語大学に日本語教師として派遣され、当大学の追加教育プログラムに所属する日本語講座で日本語の指導に当たっています。
現在ロシア歴は約5年、日本語教師歴も4年です。現在のところ、この地方において、唯一の日本人となっています。
3大学で初級から中上級までの会話クラスを担当しています。大学のタイプ、雰囲気がそれぞれ違っていて、一口に「ロシアの大学」といっても色々だということを実感しました。
日本語を勉強している学生も様々で、彼らと一緒に勉強するのは、とても新鮮です。
サンクトペテルブルグ大学では、ネヴァ川のほとりの、大変良い場所に位置しており、川の向こうにエルミタージュ美術館やイサク聖堂などが見えます。また、サンクトペテルブルグ大学の日本語教育は長い伝統と歴史があります。
学生達は皆明るく、とても勉強熱心なので、いつも楽しく授業をしています。 始めは全く日本語を知らなかった学生と、今では日本語で色々な話が出来るのが嬉しいです。
試行錯誤の人生で、日本語教師としてのスタートが遅れてしまいましたが、この派遣プログラムを通して日本とロシアの草の根交流の一端を担えれば、と思います。